地域猫推進寺

私の目指す地域猫

私の目指した「真の地域猫」とは?
地域猫活動が広がらない原因は、行政の解釈の間違いか?

最近、猫活動ボランティアや地域猫活動を始めたいという人達から、「行政も住民からもボランティアさんお願いしますと丸投げ状態で疲弊している。これが地域猫活動ならばやりたくない」「地域猫活動は、制約が多くて始められない」「自分で町内会長や住民へ説明など出来ない。」「地域猫では解決しないからダメだ」などの厳しい声をいただいている。

私の生み出した「地域猫」の姿とはかなり違う、何か難しく、面倒な方向に進んでいるような気がする。これでは広がるわけはないし、逆に否定されてしまうのも無理はない。

ホームページや広報を見ても、環境省や全国の自治体で表記されている基本的な「地域猫の考え方」は、人と猫の共存を目指すもので間違いはない。
ところが、現場で実践するにあたっての進め方で、誤解が生じているようだ。運用方法については各自治体が決めるものなので、地元行政の考えで進められていく。ならばこの辺に問題がありそうだ。

行政、ボランティア、住民による三者協働で、それぞれの役割を果たして進めていくことは一応記載されている。これも問題はない。

地域猫活動は地域のみんなが関わって進める活動なのに、なぜボランティアに丸投げされるのか?
ボランティアの解釈に問題がありそうだ。

私が考えていたボランティアとは、「猫に関しての知識を持ち現場で実際に不妊去勢手術を普及させるために広報、捕獲等の活動している団体や個人の人達」というイメージである。猫活動ボランティアと表現している。
この人達には、持っている知識と行動力を活かして、地域住民へ地域猫活動でトラブルを解決するように支援と協力をする地域猫アドバイザーの役割を果たしてもらっている。
決してエサを与えるだけの人とは違う。
地域によってはそのような団体や人が居ないために、行政主催で講習会や説明会を開催して地域猫アドバイザーを養成している自治体もある。この人達はノラ猫で困っている地域へ行って説明や捕獲等の協力をすることで、住民が地域猫活動をスムーズに行えるように手助けをする役割を担ってくれる広域で活動する人達だ。このような正しい知識と良識を持った人達が増えることは大変良い事であり、行政も助かる。
地域猫活動を中心的にやるのは、地域住民であることを忘れてはいけない。

ところがもう一つ「ノラ猫の世話をする人」をボランティアと解釈している自治体が多く見られている。大変紛らわしいボランティアの表現になっている。

ノラ猫の世話をする人(ボランティアと呼ぶなら)を行政が不妊去勢手術費用の助成やエサやりのお墨付き等を与える事を条件に個人を登録し、その人達だけに活動を許すという意味ならば、他の住民の関わりは薄くなってしまう。住民は場所の提供などで見守るだけというならば何もすることなく、三者協働とはほど遠い活動になって、ボランティアだけが全ての活動を任され、結果的に丸投げになってしまうのではないだろうか。

この方法でみんなが納得して、上手くいっていれば問題はないと思うが、実際にやった人達からは「なんで私たちばかりがやるのか」と不満が出ている。逆に外部からすると、行政から許可をされて堂々とエサが与えられるので、羨ましく見えるのではないだろうか。
地域猫活動は、可愛そうなノラ猫を救うための動物愛護活動だけではないのである。
この辺の解釈が誤解の始まりなのかも知れない。

ノラ猫の世話をする人が、限定の地域住民で、地域内でよく話し合った上で、住民達から認められた人(猫の世話人)という意味ならば話は別であり、更にこの人を行政が登録して後押しするならば、住民からもボランティアからも不満など出るはずもない。

しかし、ノラ猫の世話をする地域に住んでもいない人が行政主催の講習を受講し、行政の登録を受けてノラ猫の世話に来るということは、地域住民の活動にはなっていないので地域猫活動とは呼べない。
どうしても行政が登録制度に拘るのならば、個人を登録するのではなく、地域登録をする方が理にかなっているのではないか。

行政としては、ノラ猫へのエサやりをしている人を把握して、きちんと飼育管理をしてもらうことが目的の手法なのだからそれを否定するものではないが、これを「地域猫活動」と呼んで一緒にしないでほしい。これでは誤解されてしまう。
当初はこんなに制約のある面倒な活動ではなかったはずだ。

各自治体で進めようとしている地域猫の考え方で総論も各論も問題はなかったのに、最後の最後のちょっとした運用の解釈の違いで、こんなにも変わってしまうのかと驚いてしまう。

地域猫活動は、ノラ猫によるトラブルを解決して住民が住みやすくするために行う住民の活動であることを忘れないでほしい。トラブルをなくす活動なのに上手くいかないのは、何かが間違っているということではないだろうか。

新型や変異型が横行するのは世の常かもしれないが、私の発案した「真の地域猫」は、「住民同士のコミュニケーションを大切にして、人と猫が共存するトラブルのない町にしていくこと」であるという意味を理解してほしい。