人と人とのコミュニケーション不足
「何で困っている人や嫌いな人が協力しなければならないのか?」「なぜノラ猫にエサをやって管理するのか分からない。迷惑だ」等、多くの批判や反対意見が見受けられる。
猫という動物の存在に対して法的に厳密に出来ないのは、猫の生理、生態、歴史が関係あるからで明確になっていない部分が多いからではないだろうか。
これは日本独特な曖昧さかもしれない。欧米のようなYESかNOが基本の文化とは違うファジーな考え方なのだ。このファジー理論こそ地域猫活動の考え方そのものである。
日本人の考え方も欧米化が進んでいるからこそ、曖昧な事に苛立っていろいろな意見が出るのかもしれない。
地域猫誕生から25年経過するが、当初よりも生活環境や人間関係がかなり変化し、それぞれの対応は大変難しくなってきた。
一番の問題は、人と人との関係、地域との関係が希薄になっていることによる住民同士のコミュニケーション不足が挙げられる。これは時代と共にますます広がっている。
自分だけの快適な居住空間を求めて、迷惑なものは排除するか煩わしい事には関わらないような生活になって孤立している。自治会・町内会にも入らない人が増加して、ますます孤立化の傾向にあるのが現状ではないだろうか。だからノラ猫のことは、猫好きだけが関われば良いと思う人が増えている風潮にある。これは一種の社会問題である。
そんな中で「地域みんなで協力してノラ猫問題を解決しましょう」と呼びかけても相手にされないだろう。地域を巻き込むようなそんな面倒な説明等しなくても、保護してしまう方が文句は言われないで喜ばれるし早く解決できると思うのだろう。目先の事だけではなく長い目で見て出来るのであれば良いが、それが出来ないから地域猫活動を勧めているのだ。
震災や災害が起きるたびに言われる、地域力の大切さを思い出してほしい。
ノラ猫が居る限り、何かしらのアクションは起きるものだ。猫好きな人、可哀想と思う人はエサをやるだろうし、猫嫌いな人は迷惑、不快だと追い払い、エサやりの人や保健所に苦情を言う。この図式はどこでも起きることだ。
私はずっと2:2:6の法則として、猫好き2割、猫嫌い2割、猫に全く関心が無い6割と言い続けている。ただし、無関心であっても自分に被害が及ぶとたちまち猫嫌いに変わってしまう。地域には意識の違う両極端の人同士が存在してトラブルになるのだから、その両者を納得させる対応は至難の業である。
ただ両者が不満ばかり言っていても始まらないので、一つの解決方法として「地域猫活動」を提案している。
そこで大事なのが、「情報の提供」と「行政の関わり」である。
とにかく多くの人に知ってもらうことであり、正しい情報の提供をすることである。それには行政の後押しが絶対に必要である。
地域猫活動は、ノラ猫の問題として解決する方法であるとともに、地域住民が住みやすくなるための環境衛生活動であることも強調したい。誰の所有物でもない、責任の所在が明確ではないノラ猫だからこそ、みんなで話し合い、みんなで協力する姿勢が必要なのである。
長年ノラ猫問題に関わって思うことは、ノラ猫の問題は人の問題であるということだ。人と人とのコミュニケーション不足解消こそ、ノラ猫問題を解決するための第一歩である。