地域猫推進寺

「地域猫」の誕生秘話と表記について

この発想は私が横浜市衛生局公衆衛生課で担当していた平成3年に開催した「横浜市動物問題検討会」の中で、出席委員から「自分の住んでいる磯子区の団地では、動物の飼育は不可であるがノラ猫については不妊去勢手術をして、ルールを決めてみんなの猫として世話をしている」という発言を聞いたことで閃きました。

平成7年に磯子保健所へ人事異動になったのを機に、話しに出ていた団地を調査して同じような活動を近隣の地域で出来れば、人とノラ猫の共存が可能となりノラ猫問題は解決するのではないかと考えました。
さっそく職場内で提案するも動物業務に精通する上司から「今、猫問題に手を出すと大変な事になる」とあっさり否決されました。
その後、相談されるノラ猫苦情を現場で処理する際に、町内会長や周辺住民を巻き込みながら、前出の団地を例にして共存の考え方を話していきました。

平成9年に上司の異動を機に、積極的に地域を啓発するとともに職場内部の理解を得て、磯子区の事業として「磯子区ホームレス猫防止対策事業」を起案、実行しました。
裏話としてすんなり区役所内で起案が通った背景の一つには、地道に町内会を回って共存の考え方を説明したことが功を奏したのだと思います。それは、ある町内会長さんが磯子区長との対談をする機会に、「うちの町内会はノラ猫が多くて苦情で困っていたが、保健所の動物担当職員から不妊去勢手術をして元の場所に戻し、ルールを作って住民が世話をして、みんなで見守るように言われてやったら上手くいっている。磯子区は良い方法を進めている」との発言があったおかげで、区のトップにインプットされたことがあると思います。
もう一つは職場内での理解が大きく、特に課長、係長が熱心に区役所の予算獲得に動いてくれたおかげで、僅か50万円ですがノラ猫事業の為に獲得することができました。これは当時の動物行政では画期的なことでした。

「地域猫」の表記について

一般に初めて披露されたのは、平成9年11月30日に開催された「第3回区民と考える猫問題シンポジウム(ニャンポジウム)」で使用した参加者への配布資料の保健所計画(案)に記載がありました。(保健所内部では、もう少し前から資料に表記していた)
当初は、「みんなの猫」→「地域の猫」→「地域猫」

平成10年7月に区民へ配布した磯子保健所発行の「区民と考える猫問題シンポジウム報告書」内に案としての記載がありました。

平成10年4月から「磯子区猫の飼育ガイドライン検討委員会」を設置してルール作りを検討し、この中で「地域猫」という分類の猫を定義しました。

平成11年3月10日付「磯子区猫の飼育ガイドライン」に定義付けされた「地域猫」が記載され、印刷後広く配布しました。