地域猫推進寺

猫と人の関わりの歴史

猫が人にとって身近な存在となってきたのはいつ頃からなのでしょうか。 人と猫の関わりの歴史を振り返ってみました。(諸説ある中のひとつ)

紀元前4000年頃~

現代猫の起源は、好奇心旺盛で人懐こいリビアヤマネコと言われている。野生動物のように自分でエサを捕って食べるのではなく、人からエサをもらって生活することで人の周辺に居着いたと思われる。やがて人が農業を始めると、穀物を狙ってネズミやヘビ等が倉庫にやって来るようになった。ところが猫がネズミやヘビを退治したことから、人は猫を慣らして側に置くようになっていった。これが猫のペット化の始まりである。

550年頃

古代エジプト人が飼い慣らした猫は世界中に拡がり、やがてインド、中国、朝鮮半島を経て、奈良時代に仏教の伝来と共に経典がネズミに囓られるのを防ぐネズミ退治の目的で一緒に船に乗せられて日本に渡って来たと言われている。

800年頃

平安時代には、貴族たちが愛玩用として唐(中国)から猫を輸入することが流行した。当時は貴重な輸入動物であったため、猫はつないだり、部屋の中で飼育することが多かったようだ。
文献での初出は、平安時代初期薬師寺の僧「景戒」の説話集「日本現報善悪霊異記」、実際に飼っていた記述は、宇多天皇の日記「宇多天皇御記」と言われる。
平安中期には、清少納言の「枕草子」、紫式部の「源氏物語」、菅原孝標女の「更級日記」で、綱のような物をつけられていたと記されている。
絵画では、「信貴山縁起絵巻」が初めてとされている。

1200年頃~

鎌倉・室町時代には繁殖力旺盛な猫は増え始め、一般の人にもつながれて飼われた様子が絵巻、絵画に描かれている。
特に鎌倉時代には猫が妖怪扱いに変わってきて、なかでも吉田兼好の「徒然草」に登場する人食い猫の「猫股」が有名である。

1602年

徳川家康が江戸幕府を開く1年前、【猫をつないで飼ってはいけない】とのお触れが京の都に出た。統治機構としては、戦乱が終わり平和になったことへのアピールとともにネズミ退治をしてもらって綺麗な街にすることを意図したと言われている。西洞院時慶の日記「時慶記」にお触れの事が書いてある。
ここから「ノラ猫」が始まったと考えられる。

1687年

徳川五代将軍綱吉公による「生類憐れみの令」に、猫をつないで飼うことと売買することが禁止された。

1899年

明治32年には、日本でペストの大流行があり大勢の人達が亡くなった。ぺスト菌はネズミのノミが媒介して人に感染させていく病気であることを北里柴三郎博士が発表した。するとネズミの天敵である猫の存在がクローズアップされ、どの家庭でもペストの感染を予防するために「ネズミ退治用の猫」を我先に飼うようになった。また、細菌学の父コッホ博士がペスト撲滅のために次の提案をしていた。

  1. 一家に1匹の猫を飼う制度を導入する。
  2. ネズミ捕りの上手な猫を輸入し繁殖する。
  3. 良い猫を作るために猫の品評会を開催する。などその後、東南アジアなどからの輸入も多くなり、日本の各地で飼い猫がどんどん増え続けていった。
    明治42年2月6日、警視庁告論にて「一家に1匹猫を飼う」通達あり。
1926年

大正15年にペストの大流行が無くなると、ネズミ退治として重宝していた猫の存在はさほど必要ではなくなり、次第に飼い主の手から放され、生きていくために「ノラ猫」が増加し続けることになった。

1950年

昭和25年8月、狂犬病予防法が施行され、犬については登録、予防注射、けい留等が義務づけられた。猫にとって天敵である犬が、飼い主によって管理されることにより、安心して町中を徘徊できるようになった。